人員増大、防犯カメラ、Nシステム増殖……警察権力「56年の検証なき拡大」を検証する (SAPIO)2010年9月29日号掲載) 2010年10月7日(木)配信

“仕分け”されず、権限強化の一途─それでも捜査能力は上がらない


文=大谷昭宏(ジャーナリスト)

 警察組織が国民の命と安全と財産を守る、国家運営に必要な組織であることに異論を挟むことはできないだろう。その目的を達成するため、彼らには強大な権限が与えられている。だが、その権力拡大の過程と実態は、一般市民にはほとんど知らされていない。

 読売新聞大阪本社社会部のエース記者時代から、40年以上にわたって警察組織を取材し続けてきたジャーナリストの大谷昭宏氏が「ハイテク監視警察」に対して警鐘を鳴らす。

「行政のムダを省く」という改革が叫ばれる中で、唯一、肥大化を続けている組織が警察組織だと言っていい。

 1954年に現行警察法が施行された時の警察官(地方警察官)の定員は11万3500人だったが、2010年度には、25万4530人まで膨れ上がった。警察庁の職員などを合わせれば29万1475人となる。都道府県警予算の総額は、この20年間で約2兆6421億円から約3兆3557億円にまで膨張している。

 そもそも日本の役所は増殖志向が強いが、中でも組織拡大の“大義名分”を最も主張しやすいのが警察組織なのである。

 責任の一端は我々メディア側にもあるが、いま、国民は「治安が悪化している」と感じているのではないだろうか。

 昨年11月の島根県の女子大生殺害事件、今年3月の福岡県の女性会社員バラバラ殺害事件など、猟奇的な事件の犯人が一向に検挙されない。結果、国民は不安感を煽られる。

 実際は、統計的に見れば日本は世界で最も殺人の少ない国の部類に入る。認知されている件数にして年間約1100件、長期的に見ると、減少傾向にある。

 それでも、凶悪事件が未解決のままだと、いわゆる“体感治安”が悪化する。

 すると、警察に行政改革のメスを入れようとしても、「警察官の人数を減らして、凶悪事件が解決できなくなってもいいのか」と主張され反論するのは非常に難しくなる。

 しかも、この大義名分は、外部からの検証が非常に困難だという特徴を持つ。

議会も公安委員会も
機能不全に陥っている

 警察の組織拡大の際に欠かせないのが各都道府県の条例の存在だ。例えば福岡県の暴力団排除条例などの制定によって、警察は人員を増やせる。

 問題は、増やされた人員が実際にどこに配置されているかは、国民に知らされないことだ。全国の都道府県警は、組織図は公表しても、「捜査上の秘密」という建前から人員配置を公表しない。必要なところに人が配置されているのかは検証できないのだ。

 06年に福岡県で子供3人が死亡した飲酒運転事故をきっかけに、07年に道路交通法が改正され、罰則が強化された。だが、肝心要の福岡県内の飲酒事故発生件数は、今年7月末時点で全国ワーストである。私は、交通警察はたゆまぬ努力をしているとは思う。しかし、現実に有効な人員配置がされているどうかはまったく不透明なままだ。

 本来であれば、都道府県警にいる警視以下は地方公務員だから、地方議会がチェックし、追及することができる。そのために都道府県議会には警察常任委員会が設置されているのだが、議員とて警察には強く出られないのが現実だ。選挙違反を摘発する組織に対して、下手に追及すれば自分の身が危うくなる。

 また、警察組織を管理する立場にあるのは、国家公安委員長をトップとする国家公安委員会と各都道府県の公安委員会だが、機能しているとは言い難い。国家公安委員会のメンバーは6人、都道府と政令指定都市を含む県は5人で、他は3人しかいない。メンバーは事実上警察側からのリストに基づいて選ばれていて、地方銀行の頭取や地場企業の社長、医師など。要は警察が、言うことを聞いてくれる人間をリストに挙げ、知事が黙って判子を押しているだけなのである。改革派の知事と呼ばれる人たちも、警察を敵に回したくないから、睨みを利かせそうな人物を公安委員に任命しない。

 警察を監視する組織、システムが機能不全に陥っている。

 そもそも現行の警察法が施行されたのは、1954年7月1日のことであった。

 戦前・戦中の警察組織は、GHQによって解体され、1947年に旧警察法が制定される。人口5000人以上の市町村がそれぞれ「自治体警察」を持ち、5000人未満の自治体は「国家地方警察」の管轄とされる体制を取った。しかし、広域犯罪への対処などが問題となり、現行警察法の制定へと向かう。戦前への反省から民主的管理と政治的中立性が謳われた。

 その後の現行法下56年の警察史は、自動車が普及すれば交通警察の体制を強化、安保闘争が高揚すればその対策の拡充、少年非行が社会問題化すれば少年課を設置といった具合に、社会事象に沿って、詳細な検証のないまま「拡大を続けた歴史」だったと言っていい。

ハイテク監視は
ミスを誘発する

 そんな中で、警察によるハイテク監視が拡大している。87年に設置が開始されたNシステム(自動車ナンバー自動読み取り装置)の設置台数は増加を続け、その数は2000台に迫ろうとしている。全国の幹線道路は、ほぼ警察の監視下に置かれたと言っていい。駅や空港、繁華街などに設置された防犯カメラのネットワークも拡大の一途で、携帯電話の位置情報などを含めた監視網は規模も精度も上がる一方である。

 もちろんNシステムそのものが悪いとは言わないが、私が危惧しているのは、こうした最先端のツールに頼りすぎることの「弊害」である。

 例えば、昨年8月に石川県内で起きた窃盗事件で、石川県警は防犯カメラの映像を証拠に61歳の男性を逮捕・送検した。だが、金沢地裁は今年7月、被告男性はコンビニの防犯カメラの映像の人物とは別人だと断定した。犯人を取り違えたのだ。

 足利事件も、DNA鑑定がなければ、菅家利和さんが犯人にされることはなかっただろう。ハイテク捜査の進歩によって、「補充捜査」の怠りが生まれているのである。

 実は足利事件でも、現場のベテラン刑事たちは途中から鑑定結果に疑いを持ち始めていた。しかし、DNA鑑定に対して「この結果はおかしい」とは言い出せなかった。

 過信はミスや冤罪に繋がる。今年3月には神奈川県警がDNAの検体を誤登録し、別人に逮捕状を出すという失態も起きている。

 しかも、最先端の技術を導入していながら、警察の捜査能力は逆に落ちているというのが実感だ。

 例えば島根県の女子大生殺害事件も、Nシステムで幹線道路を通った車をしらみ潰しに当たれたはずだ。それらしき車がいなければ裏道を通っているわけだから、相当土地勘のある人物だとわかる。にもかかわらず、犯人にたどり着けない。

 世田谷一家殺害事件、八王子スーパー強盗殺人事件、上智大生殺害事件の3つは東京の三大未解決事件と呼ばれているが、世田谷一家殺害事件など、あれだけ証拠があり、行きずりとは思えない犯行でありながら検挙できない。

 その要因はさまざまだが、07年に団塊世代のベテランが大量定年退職したことも一因と言える。

 結果的に、国民が解決してほしい事件は解決しないため、「やはり人員が足りない」という拡大論理へと繋がってしまう。

イギリスでは監視カメラを
減らし始めている

 さらに、ハイテクによる監視には、プライバシー侵害という問題も出てくる。

 犯罪行為に関係のない市民生活までもが監視・記録の対象となっているからだ。99年には新潟県警で同僚女性警察官との不倫関係が発覚した警察署長が辞職する騒動が起きたが、この時に非番である署長の動向監視にNシステムを使用していたことが明らかになっている。監視の網を本来の用途以外に簡単に“悪用”できるということだ。

 イギリスでは、05年7月のロンドン同時爆破テロで56人の死者を出してから、監視カメラの台数を急増させたが、監視カメラの映像をチェックする係官によるプライバシー侵害のスキャンダルが起きた。結果として、監視カメラを減らす方向に動き始めている。

 日本も監視社会の行き過ぎや、警察権力の際限なき拡大について、1回立ち止まって見直すべきではないか。

 犯罪は日進月歩で進化している。コンピュータ犯罪に対してサイバーパトロールを行なうなど、新たな部署が必要になるのは当然のことだ。だが、検証も必要になってくる。

 また、新たに必要になる部署がある一方で、時代の変化とともに不要になる部署もあるはずだ。

 例えば、かつてのような過激派や学生デモは減っているのだから、警視庁の公安部に捜査をする課が3つも必要だとは思えない。相変わらず共産党を監視組織にしている。

 警察という組織は、新しい犯罪に対応するために部署と人員を増やすことはあっても、減らすことはほとんどないということがよくわかる。

 警察組織をチェックできるのは、やはり政治の力しかない。前述の通り、機能不全に陥っている公安委員会をきちんと立て直し、警察組織を監視できるようにするべきだ。

 東京や大阪といった大都市の公安委員会は少なくとも10人程度の組織にして、犯罪被害者で子供を殺された親とか、レイプ被害にあった女性、青少年の補導に長年関わっている人など、本来の警察の運営のあり方に役立てる人を入れるべきだ。